建築家31会

原風景に想うこと5_港区赤坂高橋是清翁公園

この投稿は建築家31会のブログリレー「ばとろぐ_2013/08/23」を一部加筆したものです。

カナダ大使館と草月会館に挟まれた高橋是清翁記念公園は、樹齢50年を越す高木が繁り水の流れもある回遊式庭園で、春先の新緑や秋の紅葉が美しさなど四季折々の表情を見せてくれます。この広々とした公園はかつて、明治から昭和初期にかけて活躍した高橋是清の居住地でした。

穏やかな時間が流れるこの都会のオアシスも、今から約三四半世紀前には大きな事件に見舞われます。青年将校による重臣たちの襲撃、2・26事件です。当時、軍部の政治介入に批判的であった高橋是清蔵相の暗殺により、日本は戦争への道に進む事になります。

戦災による被害で建家は焼失してしまいましたが、それを取り巻く庭園は往時の姿を偲ばせます。現在、庭園の奥まった小高い場所には高橋是清像が設けられています。毎年2月26日にはこの銅像の前に花束が手向けられているのを見掛けます。銅像の視線の先は、かつて母屋があった2階辺りを向いており、自らの終焉の地を眺めている様にも捉えられます。

実は、建家は全て焼失してしまった訳ではありません。1941年に母屋は多摩霊園の休憩所として移築されたため、1945年の東京大空襲の戦災を逃れる事になりました。現在は、小金井公園の江戸東京たてもの園に移築され公開されています。開戦の舞台となった建築が、歴史的事象を織り込みつつ、家主が不在のまま半永久的に生き残る事になるという・・・何とも数奇な運命を感じざるをえません。

原風景の想うこと1_赤坂見附

原風景に想うこと2_富山市舟橋

原風景に想うこと3_滋賀県大津市膳所

原風景に想うこと4_千葉県君津市

原風景に想うこと5_港区赤坂高橋是清翁公園

原風景に想うこと4_千葉県君津市

この投稿は建築家31会のブログリレー「ばとろぐ_2013/08/22」を一部加筆したものです。

人々が集まって住み、人工物を作り、市街化する事は、多かれ少なかれ何かしらの歴史(時間経過の痕跡)が折り重なっている事が想像されます。時間をかけて未開拓の地を開墾し、時代に合わせて築造と解体を繰り返して来たからです。

土木構造物、建造物などが多くひしめき合うに連れ、都市へと変わって行く訳ですが、これらの人工物があまり無い場所は、地形そのものの姿が見えやすい状態にあるといえましょう。

以前に房総半島で計画した住宅K-HOUSE=Spread BELOW=は、映像作家のSOHOでした。小高い丘の頂きに位置する計画地は、すり鉢状に広がる深い緑に覆われた山肌と谷底の池を臨む優れた景観をそなえていました。緩やかな傾斜は東方向の平野に開け、遠くには街並も点在し夜景を彩ります。敷地西側の接続道路の向かいは奇麗に植樹された平坦な果樹園が広がり、アプローチ部分の雰囲気を高めてくれていました。

敷地内には10M前後の高木も茂り、深い緑を形作るとともに、山肌の裾野には竹林が広がり風景にアクセントを与えます。

敷地北側の隣地は低木に覆われ、視界を遮るものがなく雄大な景観を臨む事ができます。接続道路から北東の眼下に広がる風景はアイスポットとなる谷底の池などの特徴的な景観を有し、背景、あるいは借景として建築空間に取り込む事が、今回の計画を行う上でも重要な要素と捉えました。

室内からは、この北東方向の景観を臨む事のできる大きなパノラマウィンドウを設けました。吹抜けに面したこの開口は4M×4Mのサイズになり、建物外観にも印象的な形態をもたらします。接続道路を北側からアプローチして来た時には、深い緑を背景に建物の全容を見る事ができ、その存在感を感じる事ができるでしょう。また、殆どが傾斜地となる今回の敷地は、屋外のまとまった平場がありません。自然に囲まれた生活をする上で、屋外作業を行える場所として、あるいは、来客も含めた充分な広さの駐車スペースとして、そして何より、この景観を満喫する事ができる展望テラスとして、屋上を利用した新たな大地を道路レベルに生み出します。

建物の全体構成は、道路と同じ高さの屋外テラス、駐車場の屋上階レベル、オフィス、カフェ等の土足ゾーンとなる2階レベル、リビング、ダイニング、ベットルーム、水廻り等、生活の中心となる1階レベルの3層になります。敷地の傾斜に沿った形で段状に箱を積み上げる事により、合理的且つ強固な構造体とする事ができます。室内は吹抜けを含んだ一体の空間としてつながっており、通風、換気にも効果的です。各階には小さな段差を絡めながら使う用途による場所性の変化を緩やかに与えます。仕事に関係する来客は2階レベルのカフェを中心に利用します。吹抜けを介して1階のリビングと面する事により、北側の大開口から眼下の池を臨む事が可能です。また東側の大きな壁面はプロジェクターを使った投影を行う事もでき、さながらシアターの様な使い勝手も望めるでしょう。

よりプライベート性の高い寝室、水廻りはカフェの下部へと配置する事により、来客の視線が直接届かない奥まった空間になります。

 

追記2017/05/15:この計画は、コンペ提出案になります。結果は落選だったのですが、提案としてはとても気に入っております。これを実現できる様な機会が訪れると良いのですが・・・。

原風景の想うこと1_赤坂見附

原風景に想うこと2_富山市舟橋

原風景に想うこと3_滋賀県大津市膳所

原風景に想うこと4_千葉県君津市

原風景に想うこと5_港区赤坂高橋是清翁公園

原風景に想うこと1_赤坂見附

この投稿は建築家31会のブログリレー「ばとろぐ_2013/08/19」を一部加筆したものです。

今週のばとろぐを担当する石川利治です。今回は私が設計に取り掛かる際に必ず想いをめぐらす「原風景」に関して記してゆこうと思います。とりとめも無い話が続くかもしれませんが、一週間、おつき合い頂ければ幸いです。

早速ですが,この「原風景」という言葉は、特に建築専門用語という訳ではありません。いわゆる「風景」という単語よりは、もう少し個人の考え方や感じ方、場合によっては時の流れといったノスタルジーな部分を内包しているのではないかと思っております。空間によって何かしらの感情の機微を伴う現象があるのではないか・・・といったことをイメージし、今回のテーマとさせて頂きました。

仕事柄、都市的な営みには深く関係を持っていると思いますが、特に身の回りの街の歴史に興味を持ち始めたきっかけは、現在の場所(赤坂7丁目)に事務所を構えてからになります。国道246号線の向かいの赤坂御用地はかつての紀州徳川家の領地であったり、神宮外苑は近代では練兵場であったりと、生活圏内の事柄で古地図を開く機会も増えました。江戸時代から現在にかけて、あるものは昔と変わらず、あるものは大きな変化を遂げていたり、その歴史的な背景をひも解く事で、街の違った表情を想像する事が面白く感じられるようになりました。

赤坂近辺はかつての江戸城の外濠にあたり、現在も飯田橋付近から赤坂見附あたりまでは、お濠の様子を留めています。赤坂見附の先に続く溜池には、当時は巨大な貯水池があったということですが、埋め立てられた現在の街の様子からは全く想像がつきません。この外濠から城内に入る門は数カ所ありますが、そこには厳重な監視を行う「見附」が設けられていました。その名残は「赤坂見附」の駅名として現代に引き継がれています。現在、解体工事が進められている赤坂プリンスホテルの南東の角あたりには赤坂御門があったとされ、その石垣の一部が現存しています。明治初期の古写真で、赤坂御門は幅の広い土橋を登りきったところに威厳を持って構えられていた様子が伺えます。土橋は国道246号線となり、上空には首都高速が走り、門(高麗門)は跡形もなく消えてしまいましたが、緩やかに登る坂道と並行に走っていたお濠や石垣の一部は、当時の様子を偲ばせます。当然、街そのもの様子は変わっているのですが、こういった土木的な要素によって構成されたスケール感は今も存続していることが感じ取れます。現在では採掘するのも困難な巨石による石垣等の遺構は、様々な時代を通して刻みこまれた年輪とともにその圧倒的な存在感でそこにありづけるのでしょう

長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース

追記2017/05/12:その後、文中に出て来る赤坂プリンスホテルは「東京ガーデンテラス紀尾井町」として生まれ変わりました。新たに濠の石垣を見るための通路なども整備され、石のディテールも伺えます。ご興味のある方は是非!!

原風景の想うこと1_赤坂見附

原風景に想うこと2_富山市舟橋

原風景に想うこと3_滋賀県大津市膳所

原風景に想うこと4_千葉県君津市

原風景に想うこと5_港区赤坂高橋是清翁公園

お仕事を頂くことの難しさ

先日、秋にスタートした住宅コンペの結果発表がありましたが、またしても色よい返事は届きませんでした。今回は提案書提出後にお施主さんと直にお話しする機会があり、いつもより手応えがあっただけに非常に残念に思います。今年に入りここまで5案の提出を行い、3つの結果発表が行われたが、いずれの結果も「採用なし」という、どの案も選ばないと云うパターンに遭遇しています。これは決定打を打てない、我々の問題でもありますが、さすがにコンペに参加した建築家の全ての提出案の中からも選ぶことができませんとなると、負けた訳ではないので諦めも着かず、心のやり場に困るものです。ネット上のコンペを利用しているので、これはやむを得ない所ではありますが・・・いずれにしても、こちらの提案の何処が良くて何処が悪いのかは、今後の為にも知っておきたいと云うのが本音でしょうか・・・。そういった意味からも、クライアント様とのやり取りの中で、提案を作り上げて行く事の大切さを改めて感じ入る次第です。

・・・それにしても、仕事受注の難しさを日々感じております。弊社計画案に御興味を持って頂ける方は、どなたでも結構ですので、お気軽にご連絡頂ければ幸いです。

追記170612:当時(2008年12月22日)は、お仕事を頂くために外に出て行く努力が明らかに足りなかったのだと思います(今も十分とはいえませんが・・・)。文章の端々にネットコンペに応募し、苦しんでいた様子が偲ばれます。

その後に以前にPLANTECさんで一緒にお仕事をした建築家仲間であるTWIZMの後藤さんとばったり青山一丁目の駅でお会いし、その繋がりから「建築家31会」に参加させて貰った事が、一つのターニングポイントになりました。そこから、おかげ様で色々な方にお声掛けを頂く事ができ、少しずつですが、実作も増えて来ました(それでもゆっくり目の感じですが・・・)。人の繋がりは大切ですね・・・・本当に感謝です。