建築

平屋を手に入れる上で越えなければならないハードル

とても魅力的な平屋の暮らしも、その良さを享受できる家を持つとなると、少し難易度が上がります。

■敷地の広さ

全ての機能がワンフロアで納まるという事は、裏を返せばそれだけ広い敷地が必要になるという事です。間取り上、階段、2階の廊下、水周りなどが削減できますが、同程度の部屋数を確保するとなると、2階建ての敷地の2倍弱の広さが求められます。これを都心で行うとなると、元々広い土地をお持ちの方や、結構な資金力が必要になります。そもそも、広い敷地を見つける事が難しいといえるでしょう。この条件は、都心を離れれば、少し可能性が見えて来るかもしれません。

■建築コスト

敷地問題がクリアできたとして、次は建屋本体でクリアしなければならないのが建築コストです。先程,間取り上で削減できる階段や、2階部分の廊下、水廻りといった項目を上げました。建物の延床面積が削減できる事は、平屋の場合は建築面積、ひいては「基礎」「屋根」といった建物の外側を構成する部位を減らす事ができるため、コスト削減の効果はあります。それでも、2階建てに比べて倍近い建築面積になる事は避けられず、コストアップに繋がります。また、上記に伴い、外壁の周長が長くなるため、外壁面積が増え,こちらもコストアップの要因になります。

■間取り上の注意点

地面に近い所で暮らすという事は、外部からのアクセスも行えるという事で、防犯上の留意点が増える事に繋がります。また、家族の距離が近い分、プライバシーや騒音対策を十分に配慮した計画が求められるでしょう。

 

といった具合に、多層階の建築とは異なった与条件があり、特に土地に絡む条件を解決しなければならないため、都心では物理的に平屋を諦めざるを得ないといった事がおきているといえます。それでも、ある程度の広さの敷地で平屋を持つとなったら、江戸時代の長屋暮らしの様な「多目的に部屋を使う」「物を持たない」といった、生活スタイルの発想転換が必要なのかもしれません。

 

次回は、具体的な平屋の事例を元に部位別に細かな検証を行ってみます。

豪農の家

 

  1. 平屋の魅力を考える
  2. 平屋を手に入れる上で越えなければならないハードル
  3. 平屋を建てるのに必要な土地の広さとは 平屋と土地の関係
  4. 平屋の醍醐味 内部と外部の関わり合い
  5. 内に開く平屋 中庭を持った平屋の場合
  6. 傾斜地でも平屋の暮らしを
  7. 傾斜地を活かした平屋暮らし1 K-HOUSE=in the Forest=
  8. 傾斜地を活かした平屋暮らし2 K-HOUSE=in the Forest=

平屋の魅力を考える

最近は一軒家をお考えのお客様の中で「平屋」を前提にご相談を受けるケースが増えて来ました。かつては多くの日本家屋が平屋でしたが、現代ではその希少価値と相まって、改めてその良さが見直されている様に思われます。それでは、お客様を惹き付ける平屋の魅力とはいったい何なのでしょうか。

■地に根ざした暮らしが臨める

敷地が平坦であれば、建物の周りには地面があります。庭や路地、植栽といった外構を作り込むこむ事によって、建物内部と屋外の関係を積極的に活かした計画が可能になります。庭や縁側のある暮らしを現在の生活様式に組込む事は、日本らしい「自然を身近に感じる生活」の原点ともいえるでしょう。

■水平移動で完結できる(上下移動がない)

ワンフロアに全ての部屋、機能があるため、水平移動のみで生活が行えます。上下移動が無いことは家事を行う上での効率アップが計れるでしょう。また年齢を重ねるにつれ上下移動が大変になると云うのは良く聞きます。上階が無いという事は、将来的に行き辛い部屋を生みにくいという事に繋がるでしょう。

■家族のコミュニケーションが図り易い

間取りによる所は大きいですが、ワンフロアで暮らしている事で、視線や声が通り易くなるといえるでしょう。上下階に分かれて暮らしているより、お互いの存在を感じる事が容易といえるかもしれません。

■構造が堅牢になる

平屋は多層階の建物に比べて、高さを抑える事ができるため、地震、強風によって受ける外力が少なくなります。これにより、構造的に有利な建物形状が作り易いといえます。また、

■部屋の大きさに自由度が高い

平屋は多層階の建物における地上階に比べて、必要とされる柱、構造壁が軽減されるといえます。多層階の建物は、上階を支える構造が下階に必要になり、間取りにはある程度の制限が生まれる事になります。上階の床,壁,屋根を下階が支えているため、それに見合った、柱、梁が必要になるからです。

また、梁間の距離にも限界があります。広い部屋を計画した場合、独立した柱が出てきたり、構造上必要な壁が出て来るケースもあります。これに対して、平屋は、重量の軽い屋根を支えるだけであるため、構造上の成約も比較的クリアし易く間取りの自由度が増すといえるでしょう。

このように、たくさんの良い事がある平屋ですが、実際には皆さんの周りにはあまり多くは存在しません。平屋を持つ上で越えなければならないハードルが存在するからです。次回は、このあたりについて述べたいと思います。

  1. 平屋の魅力を考える
  2. 平屋を手に入れる上で越えなければならないハードル
  3. 平屋を建てるのに必要な土地の広さとは 平屋と土地の関係
  4. 平屋の醍醐味 内部と外部の関わり合い
  5. 内に開く平屋 中庭を持った平屋の場合
  6. 傾斜地でも平屋の暮らしを
  7. 傾斜地を活かした平屋暮らし1 K-HOUSE=in the Forest=
  8. 傾斜地を活かした平屋暮らし2 K-HOUSE=in the Forest=

スカイツリーを見上げる併用住宅=NARIHIRA RECEPTION=

この投稿は建築家31会のブログリレー「ばとろぐ_2014/03/31」を一部加筆したものです。

今週のばとろぐを担当する石川利治です。今回は2012年3月に行った31人展vol.4でお知り合いになったS様と進めております[NARIHIRA RECEPTION]という案件のご報告を中心に進めて行きたいと思います。1週間、宜しくお願い致します。

すっかり春めいた陽気に、少し心も軽く感じる今日この頃ですが、思い起せばS様とお知り合いになってから、2年が経ちます。ご夫婦でどのように建物を作って行けば良いかをご検討されていた折に、たまたま模型展会場の前を通りかかってお立ち寄り頂き、会場でお声掛けさせて頂いたのが始まりでした。本当に偶然にお知り合いになる事ができ、さらに新築のお手伝いが出来るとは・・・何とも不思議な巡り合わせとご縁を感じます。

案件のイメージなどは以前のばとろぐで少し紹介致しましたが、改めて概要をご案内致します。

所在地:東京都墨田区

構 造:鉄骨造地上6階

用 途:住宅・倉庫・展示室(将来対応)

スカイツリーを見上げる敷地に計画されたショールーム(将来計画)と倉庫を併設する住宅です。家庭的なおもてなしを旨とするS様の企業理念が建物全体にちりばめられています。隅田川花火を正面に望むことのできる屋上は、開放的な接遇の空間になっています。

計画から施工者決定まで、約1年半掛かりましたが、昨年の秋に地鎮祭を取り行う事が出来ました。2014年の隅田川花火にはお引渡が出来る様に、鋭意建設中です。

原風景に想うこと5_港区赤坂高橋是清翁公園

この投稿は建築家31会のブログリレー「ばとろぐ_2013/08/23」を一部加筆したものです。

カナダ大使館と草月会館に挟まれた高橋是清翁記念公園は、樹齢50年を越す高木が繁り水の流れもある回遊式庭園で、春先の新緑や秋の紅葉が美しさなど四季折々の表情を見せてくれます。この広々とした公園はかつて、明治から昭和初期にかけて活躍した高橋是清の居住地でした。

穏やかな時間が流れるこの都会のオアシスも、今から約三四半世紀前には大きな事件に見舞われます。青年将校による重臣たちの襲撃、2・26事件です。当時、軍部の政治介入に批判的であった高橋是清蔵相の暗殺により、日本は戦争への道に進む事になります。

戦災による被害で建家は焼失してしまいましたが、それを取り巻く庭園は往時の姿を偲ばせます。現在、庭園の奥まった小高い場所には高橋是清像が設けられています。毎年2月26日にはこの銅像の前に花束が手向けられているのを見掛けます。銅像の視線の先は、かつて母屋があった2階辺りを向いており、自らの終焉の地を眺めている様にも捉えられます。

実は、建家は全て焼失してしまった訳ではありません。1941年に母屋は多摩霊園の休憩所として移築されたため、1945年の東京大空襲の戦災を逃れる事になりました。現在は、小金井公園の江戸東京たてもの園に移築され公開されています。開戦の舞台となった建築が、歴史的事象を織り込みつつ、家主が不在のまま半永久的に生き残る事になるという・・・何とも数奇な運命を感じざるをえません。

原風景の想うこと1_赤坂見附

原風景に想うこと2_富山市舟橋

原風景に想うこと3_滋賀県大津市膳所

原風景に想うこと4_千葉県君津市

原風景に想うこと5_港区赤坂高橋是清翁公園

原風景に想うこと4_千葉県君津市

この投稿は建築家31会のブログリレー「ばとろぐ_2013/08/22」を一部加筆したものです。

人々が集まって住み、人工物を作り、市街化する事は、多かれ少なかれ何かしらの歴史(時間経過の痕跡)が折り重なっている事が想像されます。時間をかけて未開拓の地を開墾し、時代に合わせて築造と解体を繰り返して来たからです。

土木構造物、建造物などが多くひしめき合うに連れ、都市へと変わって行く訳ですが、これらの人工物があまり無い場所は、地形そのものの姿が見えやすい状態にあるといえましょう。

以前に房総半島で計画した住宅K-HOUSE=Spread BELOW=は、映像作家のSOHOでした。小高い丘の頂きに位置する計画地は、すり鉢状に広がる深い緑に覆われた山肌と谷底の池を臨む優れた景観をそなえていました。緩やかな傾斜は東方向の平野に開け、遠くには街並も点在し夜景を彩ります。敷地西側の接続道路の向かいは奇麗に植樹された平坦な果樹園が広がり、アプローチ部分の雰囲気を高めてくれていました。

敷地内には10M前後の高木も茂り、深い緑を形作るとともに、山肌の裾野には竹林が広がり風景にアクセントを与えます。

敷地北側の隣地は低木に覆われ、視界を遮るものがなく雄大な景観を臨む事ができます。接続道路から北東の眼下に広がる風景はアイスポットとなる谷底の池などの特徴的な景観を有し、背景、あるいは借景として建築空間に取り込む事が、今回の計画を行う上でも重要な要素と捉えました。

室内からは、この北東方向の景観を臨む事のできる大きなパノラマウィンドウを設けました。吹抜けに面したこの開口は4M×4Mのサイズになり、建物外観にも印象的な形態をもたらします。接続道路を北側からアプローチして来た時には、深い緑を背景に建物の全容を見る事ができ、その存在感を感じる事ができるでしょう。また、殆どが傾斜地となる今回の敷地は、屋外のまとまった平場がありません。自然に囲まれた生活をする上で、屋外作業を行える場所として、あるいは、来客も含めた充分な広さの駐車スペースとして、そして何より、この景観を満喫する事ができる展望テラスとして、屋上を利用した新たな大地を道路レベルに生み出します。

建物の全体構成は、道路と同じ高さの屋外テラス、駐車場の屋上階レベル、オフィス、カフェ等の土足ゾーンとなる2階レベル、リビング、ダイニング、ベットルーム、水廻り等、生活の中心となる1階レベルの3層になります。敷地の傾斜に沿った形で段状に箱を積み上げる事により、合理的且つ強固な構造体とする事ができます。室内は吹抜けを含んだ一体の空間としてつながっており、通風、換気にも効果的です。各階には小さな段差を絡めながら使う用途による場所性の変化を緩やかに与えます。仕事に関係する来客は2階レベルのカフェを中心に利用します。吹抜けを介して1階のリビングと面する事により、北側の大開口から眼下の池を臨む事が可能です。また東側の大きな壁面はプロジェクターを使った投影を行う事もでき、さながらシアターの様な使い勝手も望めるでしょう。

よりプライベート性の高い寝室、水廻りはカフェの下部へと配置する事により、来客の視線が直接届かない奥まった空間になります。

 

追記2017/05/15:この計画は、コンペ提出案になります。結果は落選だったのですが、提案としてはとても気に入っております。これを実現できる様な機会が訪れると良いのですが・・・。

原風景の想うこと1_赤坂見附

原風景に想うこと2_富山市舟橋

原風景に想うこと3_滋賀県大津市膳所

原風景に想うこと4_千葉県君津市

原風景に想うこと5_港区赤坂高橋是清翁公園

原風景に想うこと3_滋賀県大津市膳所

この投稿は建築家31会のブログリレー「ばとろぐ_2013/08/21」を一部加筆したものです。

先日、模型展にいらしたお客様とご縁があり、琵琶湖の南端に位置する大津の膳所(ぜせ)に行く機会を頂きました。初めて見た琵琶湖は、湖とは思えない広大な水面をたたえていました。この雄大な景色と豊かな自然の恵みは、多くの歴史的資産と文化を育みました。大津・膳所は東海道に栄えた宿場町として、また戦略的な要所として名将が築城に関わるなど、由緒ある歴史に彩られた街です。明治維新以降は近代・現代の暮らしへと移り変わる中で都市化が進むと共に、今もなお城下の風情を感じさせる築造物が散見されます。湖面に浮かぶ様に築かれた膳所城が水と密接な関係を持っていた様に、現代は湖岸沿いの整備が進み、良好な親水空間が生み出されている事はその象徴ともいえます。

今回の計画地は、膳所城下の北端に位置し、かつては番所・札所があった辺りとされます。敷地の西側に流れる相模川は城下町の外曲輪に位置づけられ、現在も堀の面影を残しており、近隣の寺(元膳所藩家老屋敷)は大津方面からの守りの拠点として重要な位置をしめていました。前面道路の旧東海道はこの寺を迂回する様に屈曲しており、特徴的な街道の景観を今に残しています。街道沿いには多くの商家が軒を連ねていたため、間口より奥行が深い町屋独特の地形が多く存在している事の要因と予想されます。

道路境界まで建物が作られる町屋による街並は、街道に建家が直接ひらかれる形態です。これは道路と店先の境界が曖昧なため、外部と内部の連続感が生まれ、来客を促すひとつの空間構成といえます。

現代の暮らしは、モータリゼーションと切り離す事ができません。多くの人々の往来があった旧東海道は、近隣住民の生活道路としての比重が増しました。建家の前面には駐車場が設けられ、道路と敷地は車の出入りを考慮した作りとなり、現代における道路境界の消失が進んでいることを感じました。

追記2017/05/14:おかげ様で文中のK-HOUSE=in the Compound=は現在、工事の真最中です。以下のリンクと併せてご覧頂けますと幸いです。

■大津K-HOUSE=in the Compound= 設計編

00.大津で東京の設計事務所が設計・監理をする-出会う-

01.定年を控えた単身赴任後の家をリフォームするか建替えるか

02.遠隔地で行う家づくり ハウスメーカーと設計事務所の違い

03.近畿地方の家を東京で設計する

04.遠隔地の設計で建設費用を抑える方法1

05.遠隔地の設計で建設費用を抑える方法2

■大津K-HOUSE=in the Compound= 現場監理編

00.地鎮祭_大津K-HOUSE=in the Compound=

01.祠ありきの建物位置:縄張り

02.建物を支える地盤を考える

03.基礎工事の工程:掘削工事

04.基礎工事の工程:鉄筋工事

05.基礎工事の工程:打設工事

 

原風景の想うこと1_赤坂見附

原風景に想うこと2_富山市舟橋

原風景に想うこと3_滋賀県大津市膳所

原風景に想うこと4_千葉県君津市

原風景に想うこと5_港区赤坂高橋是清翁公園

原風景に想うこと2_富山市舟橋

この投稿は建築家31会のブログリレー「ばとろぐ_2013/08/20」を一部加筆したものです。

道路、河川、濠、遺構等の土木的な要素が作り出すスケール感は、街の様相が変わったとしても、大きな骨格として残るという話を前回しました。実際には、土木そのものも不変という訳ではなく、時代と共に変化しているもの事実です。

我々が暮らす都市の多くは、城下町や港町として以前から栄え、人が多く集まっていた地域といえます。これは交通の要所であったり、商業の中心地であったりと、人々の交流が盛んに行われている場所でもありました。現在の様な自動車が輸送の多くを担っている現代と違い、近代以前は水運が重要な位置を締めていたため、城下町の水路は大切な都市インフラであったといえます。

以前の職場(池原義郎・建築設計事務所)で富山市内の仕事(富山県総合福祉会館新築工事)に携わったことがあります。富山市街は富山城下を基に発展を遂げた街です。立山連峰によってもたらされる豊かな雪解け水は、神通川となり富山城下を蛇行していました。富山城はその神通川のほとりにあり、濠としての役割も担っており、水運にも利用されていたと思われます。この神通川は雪解けの頃に水量が増し、しばしば暴れ河として氾濫し、水害をもたらしたといわれます。現在は市内の西側を真直ぐ通る様に河川のかけかえが行われ、市内の神通川は松川として水辺の名残を感じさせます。当時の古地図と現在の地図を重ね合わせてみると、かつて神通川が流れていた流域は、県庁舎、市庁舎、県警本部などの官庁施設が多く造られたことが判り、それぞれの時代で、河川の存在が街の骨格を形づくったとも考えられます。

富山県総合福祉会館もこの神通川の流域内にあり、市内中心から進む建物の高層化と住宅地の境界上に敷地がありました。前面道路はかつての街道であり、神通川を渡るために小型の船を連結させてその上に板を渡していた「船橋」があったとされ、現在も地名として残っています。

計画した建物は福祉会館という性格上、誰もが使うことができる様に、街にひらかれた施設を目指して計画がされました。それと同時に都市化が進み、ある意味ではヒューマンスケールから逸脱する都市化と住宅地との境にあることから、建物ボリュームをある程度砕き、内部空間は開口部や緩やかな大階段など街との連続感を生み出す様な作り込みをなされております。

追記2017/05/13:このところ、街歩きは改めて注目されておりますが、多分にブラタモリのおかげだと感じます。大好きな番組なので、よく視聴しています。縁のある場所は特に興味深いですが、まったく知らない場所も土木的な切り口が面白いので訪れてみたくなりますね・・・。

原風景の想うこと1_赤坂見附

原風景に想うこと2_富山市舟橋

原風景に想うこと3_滋賀県大津市膳所

原風景に想うこと4_千葉県君津市

原風景に想うこと5_港区赤坂高橋是清翁公園

本年も宜しくお願い致します

世界的な不況がささやかれている間に、新しい年になりました。弊社としては昨年も決して順調であった訳ではなく、さらに悪くなると云われても、想像の域を超えてしまいます。もちろん、厳しいのは判っているのですが、あまりにも世の中全体が萎縮しすぎるのも問題であると感じる今日この頃ではあります・・・。
そんな訳で初詣の神頼みは念入りに行いたいと思い、除夜の鐘と共に、毎年の恒例となっている裏の神社へのお参りに。たき火を囲みながら町内会の方々が甘酒を振る舞って下さることもあり、結構な人だかりが出来ておりました。小学校の頃から参拝しているので、級友に会う機会もあるのですが、年々廻りに住んでいた同窓生は転居をしてしまい、知り合いに会う機会も随分と減ってしまいました。そんな中でも、今年は級友のA井君のご一家に再開する事ができました。思えば、10年近くも会っていなかった事になり、お子様はなんと今年大学受験とのこと。その昔会った時には、まだ少年だったのに・・・。月日の経つのの早い事。ひとしきり、思い出話をして、失礼しました。今年が良い年である事を切に願います。本年も宜しくお願い致します。

お仕事を頂くことの難しさ

先日、秋にスタートした住宅コンペの結果発表がありましたが、またしても色よい返事は届きませんでした。今回は提案書提出後にお施主さんと直にお話しする機会があり、いつもより手応えがあっただけに非常に残念に思います。今年に入りここまで5案の提出を行い、3つの結果発表が行われたが、いずれの結果も「採用なし」という、どの案も選ばないと云うパターンに遭遇しています。これは決定打を打てない、我々の問題でもありますが、さすがにコンペに参加した建築家の全ての提出案の中からも選ぶことができませんとなると、負けた訳ではないので諦めも着かず、心のやり場に困るものです。ネット上のコンペを利用しているので、これはやむを得ない所ではありますが・・・いずれにしても、こちらの提案の何処が良くて何処が悪いのかは、今後の為にも知っておきたいと云うのが本音でしょうか・・・。そういった意味からも、クライアント様とのやり取りの中で、提案を作り上げて行く事の大切さを改めて感じ入る次第です。

・・・それにしても、仕事受注の難しさを日々感じております。弊社計画案に御興味を持って頂ける方は、どなたでも結構ですので、お気軽にご連絡頂ければ幸いです。

追記170612:当時(2008年12月22日)は、お仕事を頂くために外に出て行く努力が明らかに足りなかったのだと思います(今も十分とはいえませんが・・・)。文章の端々にネットコンペに応募し、苦しんでいた様子が偲ばれます。

その後に以前にPLANTECさんで一緒にお仕事をした建築家仲間であるTWIZMの後藤さんとばったり青山一丁目の駅でお会いし、その繋がりから「建築家31会」に参加させて貰った事が、一つのターニングポイントになりました。そこから、おかげ様で色々な方にお声掛けを頂く事ができ、少しずつですが、実作も増えて来ました(それでもゆっくり目の感じですが・・・)。人の繋がりは大切ですね・・・・本当に感謝です。

心の準備など

現在受け持っている専門学校の講義は概ね4ヶ月でひとクラスが入学、卒業を行う短期集中型のコースになります。3ヶ月の学校内での座学と呼ばれる講義と1ヶ月の職場実習が組合わさった、雇用対策に準じたカリキュラムです。9月からの教え子達が、いよいよ職場実習へ進み、様々な会社(設計事務所であったり、CADオペレーターの仕事であったり)にお世話になります。担当する講義日数は実質20日に及ばないものの、一日の殆どの時間を教室で一緒に過ごしてきた訳で、ある意味、旅立つ我が子を見送る気分(大げさですね・・・)も覚えてしまいます。実習先での素晴らしい体験をする場合もあれば、その逆もあり得る訳で、心配な部分は多少なりともあったりと・・・。

そんな、感傷に浸っている暇ものなく、今月は新たに12月からの学生さんの講義が始まりました。毎回思う事なのですが、クラスの雰囲気と云うものは、同じものがなく、それぞれの色をもっています。まだ2日しか経っていないためはっきりとは判りませんが、こちらも気持ちの整理を行って臨まなければ・・・・心の準備が必要です。出来るだけ、学生さんひとり一人と向き合いながら、過ごして行ければと思う次第です。

残念ながら世界的な不況の波はしばらく続きそうで、専門学校はさらに来年度の新しい学生さんを受け入れてゆく事になる様で・・・一個人として、新しい出会いがある事は嬉しいのであるが、社会不安を覚える若者が増える事は、非常に心苦しいかぎりです。